世界の発展と文化の成熟の要

みなさんは、学問というものがなぜ存在しているのか、考えたことはありますでしょうか?小中高校、大学、人によっては大学院にまで通ったという方もいらっしゃるのではないかと思いますが、恐らく多くの人は「なぜこんなに勉強をせねばならないのだろう」と、一度ぐらいは考えたことがあるのではないでしょうか。特に、小学校中学校の期間にはよくありがちなのが「こんな勉強が将来何の役に立つのか」という疑問です。この疑問は、ともすれば勉強そのものへの意欲を減退させてしまい、その後の学習状況に非常に大きな障害を創りだしてしまう原因ともなりかねません。もしお子さんや、近くの小中学生がこのような疑問に立ち会った時、それを解決することは本人はで不可能です。そういった時には、必ずあなたを初めとする周囲の大人が、彼らの疑問についてその糸口を示してあげる必要があるでしょう。そんな時にありがちなのが「ともかく必要だからやれ」という、なんとも全く答えになっていない答えです。これは、デリケートな時期である彼らに対して何の解決も提示していないばかりか、ともすれば、より勉強に対する意識を減退させてしまう原因ともなり得る最悪の対応です。多くの場合、このような疑問に立ちあう原因となるのは、周囲の大人にあります。彼らの多くは反抗期に差し掛かっており、ただでさえ周囲の大人の言うことについて全面的に受け入れがたい時期であり、逆に言えば、この時期の彼らの扱われ方によって彼らの今後の人生というのが大きく左右される時期でもあるのです。そこで我々は、彼らと共に「なぜ勉強するのか」ということを考えていかなければなりません。すぐにその答えが分かるという方ならもちろんその必要もなく彼らに対して答えに至る一条の光を提示することが出来るでしょうが、恐らく多くの方は、なんだかんだ自分だってその事について理解しないままに大人になってしまったのではないでしょうか?そこで私たち大人は、子供がなぜそういった疑問に立ち会うことになってしまうのか、それについて考えなければなりません。そのためには、日本で行われている教育というものの内容について、より詳しく知らなければならないでしょう。まずは小学校で行われる教育についてです。小学校低学年に於いては、あまり先ほどのような疑問に立ちあってしまう子供は多くありません。その原因としてあげられるのが、その授業内容にあります。小学校低学年、1年生の時代から教えられることになる科目は、大きく分けて5つです。まずは「国語」「算数」の基礎的な二科目と、それに加えて「道徳」、更には比較的新しい科目であるため、30代以上の方は恐らく受けていないであろう「生活科」、そして最後には「実技」の5つです。さて、その内容について、それぞれ詳しく見ていきましょう。まずは「国語」です。小学校の国語というのは、基本的に基礎的な日本語力を身につけることがその目的となっています。そのため、まず一番初めには文字が教えられます。平仮名、カタカナ、そして簡単な漢字などが教えられ、彼らは段々と文字の読み書きが出来るようになっていくのです。この能力は、言うまでもなく日本で生きて行く上で絶対に必要なものでありますし、その他の教科について勉強するにあたっても必要なものなので、上記のような不満が生まれることはまずないでしょう。次は「算数」です。小学校の算数はとかく四則計算について教えるものになります。要するに足し算引き算掛け算割り算の加減乗除法であり、少数や分数などが加わっても基本的にこれらについての勉強であることには変わりありません。もちろんこれも日常生活を営む上で必要となってくるものだということがわかりやすい為に、上記のような問題というのはあまり起こらないと言えるでしょう。そして「道徳」。これについてはいろいろな問題があるかもしれません。恐らく、多くの学校で行われている道徳の授業は、NHKの道徳用番組を見るか、あるいはより道徳的要素の加わった国語の勉強になっているか、基本的にそのどちらかになっています。これらのために、子供のウケはいいのですが、その反面で、どうしてこの授業が必要なのか?という真意については伝わりにくい傾向があるでしょう。より「人間として必要な道徳心を教えている」ということを明確にしていく必要がある科目と言えるかも知れません。さらには「生活科」。新たな科目であり、国の定める教育指導要領によれば「総合的な学習」の一部となります。ようするに、キャリア形成であったり、地域理解であったり、何かしらの生活に関わることについて取り扱うのがこの生活科になります。生活指導・児童指導の一部を授業としたものと考えればよいでしょう。最後には「実技」。体育・音楽・家庭・美術などがこれに当たります。これらも体を動かしたり、ものを作っていくという授業であるため、基本的に子供ウケは良いのですが、その反面で得手不得手というのが最も出やすい分野でもあります。そのため、教師や大人たちは子供に「得手不得手は誰にでも有る」ということをしっかりと示さなければ、今後これらについて彼らの意欲は減退の一途を辿ることになるでしょう。これらが、小学校低学年から行われる教育です。3.4年生の中学年になると、これに加えて「社会科」と「理科」の二科目が追加されることになりますので、そちらについても多少説明を加えていきましょう。小学校社会科で教えられるのは、基本的な社会の仕組みであったり、あるいは歴史の成り立ちであったりします。前者はこの社会に生きて行く上で知って置かなければならない必要事項でありますし、後者は現在の日本に連なる歴史を知り、世界と相対視することによって、自国の風土についてよく知ることができます。この教科に於いて気を付けなければならないのは、教師の主観によって大きく変わる教科であるということです。例えば歴史教育を行う際に、かの大戦についてともかく日本が悪かった、世界に対して謝り続けなければならない、といういわゆる自虐史観を子供たちに教える洗脳教師が存在します。この頃の子供はまだまだ純粋で、このようなことを聞き続ければ自然とソレが正しいのだと思い込んでしまう向きがありますから、家庭においても共に考え、より正しい社会科を学ばせる必要があるのではないかと思います。このような教育を受けた子供が、成長してから真実を知ると、通常の教育を受けた者よりも圧倒的に右傾化しやすいという傾向もありますから、この時代の教育は重要です。そしてもう一つの理科は、主に生物や科学の2つにわけられ、この世界の基本的な理についてその基礎部分について教えられることになります。実験やフィールドワークなども多く、子供たちにも理解されやすい分野であると言えるでしょう。そして学校は中学校へと進み、その毛色はかなり変わってきます。小学校のすべての教科が基礎的に日常と密接に絡み合っていたのに対して、この中学校で教えられる勉強はより高度で、日常生活においてはあまり利用されないものへと変わって行きます。国語は、基礎的な読み書きから、段々と文意を読み解き、著者の考え方について追求したり、あるいは古典や漢文なども加わり、より専門的な内容へと変化します。算数は数学と名前を変え、方程式や関数など、日常生活ではほお全くと言っていいほどに使われないものへと変わり、社会や理科も段々と我々の日常生活からはかけ離れていくのです。さらには、英語という新教科にも問題があります。現在はグローバリゼーションの世の中であるとはいえ、小学校や中学校、あるいは高校において、日常的に英語を使わなければならない機会というのはほとんどありません。そのため、この英語という勉強はかなり理解に苦しむ生徒が多い教科になってしまいます。日本人なんだから日本語さえわかっていれば良い、という主張も、ある意味では全面的に間違っているわけではありませんから、真っ向から否定できないというおもnまた辛いところでしょう。そして、義務教育の時代は終わり、ついに自由教育の最初である高等学校へと進むことになります。この高等学校で教えられる勉強は、そのすべてが日常生活からはかなりかけ離れます。まず国語は、現代文と古典という2つの分野に分割され、それぞれについてより詳しく追求されることになります。おもに現代文に於いては文意を問うものから、時代背景を考えた上での著者の思想などにも触れていくことになりますし、古典においては文法などについて詳しく教えられることになります。古典文学の文法なんて、普通に行きている上ではほぼ全くと言ってその活躍の場というのは存在していないのは、ご存知のとおりでしょう。そしてさらに数学も、方程式や関数はより複雑な二次方程式・二次関数へと進化し、さらにはそれらを組み合わせた三角関数へと発展します。これは良くその名前ばかりが知られているサイン・コサイン・タンジェントなる記号が登場し、より複雑なものになります。社会科も日本史・世界史・地理・倫理・現代社会・公民、となんと6分野にも分割され、それぞれについてより細部までその内容が勉強されることになりますし、理科も理科基礎・化学・生物・物理の4科目に分類され、より高度な勉強が必要な分野へと変わって行きます。これらのことからも分かるように、最も勉強に対する不満が噴出するのはこの高校時代であると言えるでしょう。普通高校に進めば、どんな科目も平等に広く浅い教育が為されるため、自分の将来へ直結しない科目に対しての勉強も必要になってくるからです。しかし、この時期を乗り越えて大学に進学したのならば、その様相はまた大きく変容します。大学というのは基本的にこれまでの「普通科」のように浅く広い勉強をする場ではありません。あくまで1つ、ないしは2つの分野に対してスポットを当てて、狭く深く学習していく「研究」が求められる学校になります。そのため、自分で選んだ研究分野ですから、これまでの「興味がない」分野とは違って、自主的に取り組むだけの意欲が生まれてくることになるでしょう。それが大学院に進めばなおさらで、さらに専門的な勉強へと歩を進めていくことになるでしょう。そのまま研究職に就く人もいるでしょう。このことからも分かるように、小中高校の勉強というのは、すべてこの大学で行われる学問に向けての道であったと考えることが出来ます。学問というのは要するに「文明の発展」と「文化の成熟」を目指すためのものです。例えば数学や物理学の研究が進めば、きっと何かしらこの社会で生きて行く上で便利なものの開発に役立つことになるでしょうから、それは実利的な存在となります。また、文学や芸術学などの研究も、進めば進むだけ我々の文化に対する理解は加速し、ひいては文化の成熟を促す結果をもたらしてくれるはずです。さて、これらのように長い時を経てようやく「実利」へと結びつくことになる学問、その一端についてここからは紹介していきたいと思います。今回紹介するのは「経営学」「物理学」「生物学」の3つの学問についてです。それぞれ、社会科学と自然科学という違う分野に属する学問でありながらも、その「世の中を良くする」という理念には通ずる所があるでしょうから、みなさんも少しこれらの学問に対する理解を深めてみては如何でしょうか。